人の器というものは
凡そ才が徳に勝った型ものはこれを小人といい、
これに反して、徳が才に優れた方のものは、
これを君子という(中略)たとえ如何に大きな人物であっても、
どちらかといえば、才が勝つものは等しく小人、たとえ如何に小人物でも、
どちらかといえば徳が勝つものは君子、従って小人にも君子にも多種多様あって、
いちがいに小人であると言って卑しむことも出来ぬ。
君子であるとて、たいして尊ぶにたらぬものもある。
解説・思う事
「安岡正篤師」の御著書「先哲講座」では、
「君子」と「小人」について語っています。
「君子」とは、
「たとえ不才無能であっても、君子というものは、
そんな才能の有無に関わらず、国家・社会を鎮める、
安定させるだけの功徳があります。本当にできた人であれば、多少仕事ができなくとも、
その人の存在だけで重量、すなわち安定性があります。」代わって「小人」とは
「小人で多才多芸の者は、とかく国を乱す。こういう者は小さな知恵だの才だとのと云うものはあるが、
人間が出来ていないので、世を乱します。」
この様に「安岡正篤師」の言葉を基本に、
今の世の中を動かす各界のリーダーを見渡すと、
どれほどの「君子」がおられるのか、
甚だ疑問が沸き起こります。
中国の尖閣諸島侵入問題を見ないふりをする政府、
その行動を容認する野党。
果たして日本国の行く末を、見定めている政治家、
リーダーがいつ登場するのでしょうか?
今の日本は「小人」が、アタフタ動いているかのように思われます。
「徳」を示す「君子」タイプか
「才能」を示す「小人」タイプか
見極める心眼を養い見分ける目をもつためにも、
どちらのタイプか見分ける
観察眼を鍛えなければなりません。
貴方は君子か小人どちらを目指すのか?
人の器は、生まれつきある程度決まっていると
申す人がいる反面、いや、人の器の大きさは、
本人の努力次第で如何様にも変わると申す人がおります。
貴方は、どうなりたいのでしょうか?
「小人」で会社生活を続け、定年を迎えて
穏やかに人生を終わらせたいのでしょうか?
それとも、「大望」を抱き、
社会に自分の足跡を残し、思う存分、
生きる事を「謳歌」したいのでしょうか?
いずれを生きるにしても、貴方の望み次第です。
一念発起し、会社を興し、代表となり、
頑張るのも人生、会社人として、中間管理職か
役員として、会社に尽くすのも人生です。
何を選ぶとしても、大事なことは
「物事、他人、事象面を見通す眼」を持つことです。
その「眼力」を持つには、
1に学ぶこと
2に行動すること
3に失敗を恐れない事です。
「物事、他人、事象面を見通す眼」を持てば、
貴方は「君子」にも「小人」にもなれるのです。