秀才も鈍才もさほど変わらず
人を評する秀才だの、鈍才だの、
全く意に介するに足りません。
一に発憤と努力如何であります。
「鈍」は時に大成のための
好資質とさえいうことが出来ます。
「鈍」は誤魔化しません。
おっとりと時をかけて漸習します。
解説・感じたこと
「一を聞いて百理解する」秀才が、
わずかばかりの時間で導き出した結果と
ただひたすら、こつこつと積み上げていく鈍才の
集大成はさほど変わらないものです。
ただ、決定的な違いがあるとすれば、
「継続は力なり」を全うした鈍才は、
その道程で得た経験が、秀才より勝る時があるのです。
たゆまず、続けた者だけが得られる経験は
何物にも代えがたい貴重な宝物と言えるでしょう。
「安岡正篤師」は自身の御著書「運命を開く」の中で、
「下手なのが一所懸命習い込んだものは、
なんとも言えぬ重厚な良いものです」と書き記しております。
鈍才とは、時間をかけて培った最大の資質と言えるでしょう。