老いて我が人生を省みる時
我々の一生も大体は日計すれば足らずで、
何事によらず赤字と思われていますが、
しかし、いよいよ老いて生涯を
省みて黒字だとなれば、
これは道に合った成功の人生となります。反対に一日一日きびきびやってきたつもりだが、
さて死にがけになって、
「一体俺は何をしてきただろうか?」
というような大赤字になったのでは、
これは失敗の人生であります。
出典元
イースト・プレス刊 安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉より
解説・この言葉に思う事
20才台から60才以前、社会の中で仕事に
家庭において己の時間に忙殺される殆どの方は、
自らの人生を省みることはほとんどないと思われます。
ましてや、願望、夢を実現するんだと
粉骨砕身がむしゃらの生き抜いている方は
その様な事に捕らわれる時間すらないと推察します。
「荘子」の「庚(こう)桑(そう)楚(そ)編」に
「日計すれば足らず、歳計すれば余りあり」という言葉があります。
この言葉の意味は、
「短絡的に判断してみると日々の計算では赤字なのだが、
長期的に年単位で見てみると余裕ある黒字の時がある。」
この言葉の解釈として、目先の利益はないかもしれないが、
長い目で見ていけばプラスになっていると受け取ることが出来ます。
日々、切磋琢磨、目の色を変えて必死に頑張ることは大事ですが、
この時、目標までどの程度達成しているかを、短時間を元に
計るとほとんど進んでいない場合、苛立ちが先に立ち、
自らを苦しめる事になります。
願望達成までの時間を設定することはとても大事なことですが、
その1点にばかり、意識すると、
「日計足らず」と早合点するやもしれません。
それよりは、途中の経過を楽しみ、
「苦労は愉快、楽しいものだ。自分を鍛えてくれる。」位の気持ちで
「黒字の生涯」目指して泰然と構えてはいかがでしょうか?
歳計すれば余りあり
「目標・願望・夢」を胸に抱いている方にとって、
自ら実現に向けて、日々継続していくことが、
毎日の経験知識となり、蓄えたものが自分の人生が
満足いく生涯であったと思えるものです。
いざ、人生の終末期を迎え、「自分の人生は無駄な時間だった」と
失敗したかもしれないと思う気持ちを持つか、
「苦しくはあったが、良い人生だった」と幸福感を味わうかは、
他人が決めるものではありません。
人生はそれぞれの人が自分しか味わう事のない時間の流れなのです。
その時間を如何に使うかはその人次第。
恨み、愚痴、妬みにまみれてこの世を去るか
もっと生きてほしいと望まれるかはあなた次第なのです。
感謝の心をいつも持ち続けてより良い人生を
生きていかれる事が肝要と私は思っています。