一言が決める
片言隻句に表現される
そういう言葉・文句ほど尊いのです。
だから偉くできた人の言葉は単純です。
「だらだらと、お前一体何を言おうとするんだ」
というようなつべこべ言う人間は出来ておらん。出来るに従ってあまりつべこべ言わん。
単純明白に表現する。
註:「片言隻句(へんげんせっく・へんげんせきく)」とはちょっとした一言を意味する言葉です。
出典元
解説・この言葉から感じたこと
「片言」だけを取り上げるとこれを
多くの方は「かたこと」と読まれるでしょう。
例えば、日本に来た外国人が、
拙い日本語を話すのを聞いた時、
日本人が感じる感覚です。
逆に日本人が外国へ行って、
上手でない発音で現地に方が抱く感想も
同じことかと推察できます。
しかし、ここでは、「片言」は
とても少ない言葉を意味します。
「隻句」も同じ意味を表します。
つまり「片言隻句」は、とても短い
「一言」と言えるでしょう。
古の偉人たちの言葉の多くが、
多くの書籍の中で端的に
短い言葉で紹介されています。
そしてその言葉に多くの人は、
心を打たたり、開眼したり、
生きる希望とするのです。
何故、長々と説明される事よりも
偉人たちの言葉が生きているのでしょうか?
そこには、偉人達であっても、
艱難辛苦を味わい、それを克服した
経験や精神が凝縮されているからです。
今日、私たちは、多くの偉人たちの歴史を
書籍や映画、ドラマなどで知りえることが出来ます。
つまり、偉人たちの心の在り方や
目標に向けて、登りつけていく過程を知ることで、
偉人たちの複雑な精神世界の一部を垣間見ることが出来ます。
偉人たちの「一言」の背景をわずかながら知ることで
その言葉の重みを受け取っているのです。
そして、「安岡正篤」師は「活眼・活学(PHP研究所 版)」の中で
「世間の人々は、長編論文なんていうものによって人生を渡るものではない。
大抵は片言隻句、即ちごく短い、しかし無限の味わいのある真理・教えによって、生きる力を得る」
と喝破しています。
参考文献
洋の東西を問わず、多くの偉人の言葉に私たちは
いつでもどこでも知りえることも、触れることも出来ます。
そしてその言葉たちの持つとてつもない力で
生きる活力を得ていることを自覚したいものです。