本ページはアフィリエイト広告が含まれています


安岡正篤に学ぶ1 -日々新たに生きる-

安岡正篤に学ぶ 自分を変える

日々を新たに迎える心の準備

「日に新たに日々に新たなり」
というのが自然の相であるから、
停滞固定は造化に反する。

我々は常に自己を
新しくしてゆかなければならない。

出典元

イースト・プレス刊
安岡正篤 運命を思いどおりに変える言葉
より

日に新たに日々に新たなり

古代中国の殷王朝初代の王
「湯王(とうおう)」はある時、
「日に新たに日々に新たなり」
毎日使う手水用のたらいの底に
この言葉を書き記し、
自らの戒めとした。と
古典「大学」に書き記されています。

「湯王(とうおう)」
この言葉を日に3度唱え、
自戒に勤めたと言われています。

それは、まるで自分の体の汚れを
洗い落とすかのように、
昨日の行いをすすぎ落し、
新しい自分を
磨き上げようと心掛けました。

日々新たに過ごす


この世の中は常に動き続けており、
一瞬たりとも停滞することはありません。

時間の流れを止めることは
誰にもできない事です。

私たちを包み込んでいる宇宙も自然も
時時刻刻と変化を止めることなく
動き続けています。

その中で、時間の流れを無視し、
あたかも止まったかのような錯覚を
覚えるのは人間だけです。

どのような時に
錯覚を起こすかというと、
対人、社会又は自分自身に
悩み事が有ったり、
複雑な問題を抱えると時間が
停止したかのような
思いにとらわれる事が、
ままあります。

また、1つの事に固執するあまり、
周りが見えなくなることも
あるでしょう。

 

拘りを軽くすること

若い頃から、固執する性格が強いと
年を経るごとにその固執度は高まり、
その事から離れなくなります。

これは、
良い兆候とは言えないでしょう。

人は問題を抱えると、
その事に意識が集中しすぎて
他の事を
考えられなくなることがあります。

しかし、
問題を抱えた人の周りでは、
常に変化して、
状況が変わっていきます。

動いている周りの状況を
すべて無視して、
自分の世界や
抱えている問題だけを
注視することは、
自分のためにならないばかりか、
周りの評価も
著しく低下するばかりです。

この事から社会生活の一員になると、
自分の事だけを
やればよい環境でないことを
多くの人は学び、
やらなければならない事と
やりたいことのバランスを
身に付けていきます。

「拘り」に関わることは、
悪いこととは言いませんが、
固執する必要がどれだけあるか、
状況を鑑み判断することが
社会を構成する一員として
自覚しなければなりません。

時間の流れの嗜好中で
変化する状況を

「時常に新たなり」捉えて、
思考し行動することを
考えて頂きたいと思います。

時常に新た、日新たに、日々新たなり


起きたその瞬間から、
一日が始まります。

その起きた瞬間から、
新たな頂点にいる
自分の一日が始まります。

昨日にやり残した仕事や解決が
見えない問題でも
新しい一日の始まりと
共に変化しています。

その変化は明らかに判るような
劇的変化ではないかもしれません。

しかし、時間の流れを受けて状況は
変化しているものです。

仏教の言葉に「諸行無常」
という言葉があります。

この言葉を日常過ごす普通の
生活の中で捉えると、
「あらゆる物事や出来事は、
常に変化し続けている」
と解釈できます。

 

一々、細かく分析することは
ないかもしれませんが、
昨日の事は既に終わったこと。

心新たに、
再度立ち向かえば良いのです。

気が付かないでしょうが、
人の心の奥深くでも
新たな気持ちが芽生えているものです。

「日に新たに日々に新たなり」
という気持ちは、
自分の中にも、
周りにも自然と生まれているものです。

どのような難問であっても、
必ず答えは見つかるもの。

毎日が自分の頂点で、
毎日少しずつ変化していることを
自覚するのが
「日に新たに日々に新たなり」
という事なのです。

思考家 明徳義道 記す

コメント

error: コピーは出来ません!!
タイトルとURLをコピーしました
{ status: 'connected', authResponse: { accessToken: '...', expiresIn:'...', signedRequest:'...', userID:'...' } }